生成AIがモノにならない理由

本当は今の生成AIを「AI」と呼ぶこと自体に問題があります。そこに知性など欠片もなく、ただ学習データからサマリーを吐き出しているだけの代物を世間は過大評価しています。まあ新しい技術が出始めの時期にショボく見えることはよくあることで「後で化けるかも」という期待感が大きいのですが、そもそも根本的な部分で大したイノベーションが起きていないので幾ら待ったところで大した成果に結びつかないと思います。何故そう思うのか、少し掘り下げてみます。

テキストでのアウトプットの質が低い

これは多くの人が実感として感じていると思います。実際にChatGPTやGeminiで検索している人は多くないでしょう。そこまで気の利いた答えを返してくれるわけでもなく、なんとなく当たり障りのない抽象的な応答ばかりでがっかりしますよね。個人的にはアフィリエイトで汚染されたGoogle検索の代わりに、個人の気の利いたBlogなんかを見つけてきてほしいのですが、そんなシーンにお目に掛かったことはありません。

画像/映像のアウトプットの違和感がなくならない

画像が生成されるのを見たときはさすがに驚きました。これは革命かもと思ったのですが、しかし誰もが覚える人工的なfake画像の違和感がいつまで経っても無くなりません。これも上のテキストと同じで、今の技術でできることは既にやり尽くしてしまっており、今後の改善の余地は殆ど無いんじゃないでしょうか。

学習データに限界がある

どうしてアウトプットの質に問題があるのかの答えは、学習データの質にあると思います。ChatGPTが登場して二年ほど経ちますが、インターネット上にあって手に入る限りのデータを既に学習データとして投入してしまい、もうこれ以上AIに食わせるデータがないんじゃないでしょうか。そしてインターネット上のデータは正にピンキリで、あまりに質がばらけている。つまり教師データとしてはあまりよろしくない。テキストにしろ画像/映像にしろ大したアウトプットが出てこないのは投入されているデータの質が低いことが原因なので、これも抜本的に良くする手段がないんじゃないでしょうか。今後の展開として考えられるのは、学習データの質を良くするためにむしろ質の悪いデータを引き算することなんですが、となるとどういう基準でキュレーションすべきかという新たな問題が立ちはだかります。最終的には思想論争みたいになって収拾付かないんじゃないでしょうか。なので、誰か特定の個人がリードする●●AIという特定の人気AIが出てくる可能性はあります。ただそうなると用途が限られるので一般ウケはしなくなりますよね。AmazonがKindleの書籍データを学習データとして突っ込んだらどんなAIができるか興味はありますが、それもキュレーションの壁にぶつかる気がします。

AI自身が学習データを創りだせるか

元々シンギュラリティ理論では、コンピュータによるコンピュータの再設計と生産が指数関数的に爆発するという予測がありました。私も確かにそれが実現すれば人間の知能を超えていきそうだと思いましたが、これは人間が命を生み出せるかという命題に近いところがあり、簡単ではなさそうです。量が質を転換させるということが起きるのかどうか。起きてほしい気もしますが、少なくとも数十年程度の進歩では難しそうですね。

AIは人の仕事を奪うのか

誰だって「自分が替えの利かない唯一の存在か」なんて問われたら、自信を持ってYesなんて答えられません。なのでAIに仕事を奪われる未来というのは普通の人にとって恐怖心を煽る文句なのですが、そんな未来像に怯える必要はなさそうです。自動車ができて馬車はなくなりましたが、運転手は大量に必要になりましたからね。有能なツールが登場したら、そのツールを使いこなせる有能な人が重宝されるだけで、人の仕事はなくなりません。教育の必要性はますます重要になるでしょうが。

というわけでNVIDIA株を買ってる人はそろそろ売り時かもしれませんよw

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