(近しい方をガンで亡くされた方には他意はありませんので、ご容赦ください)
私の家系はガン筋で、親父も祖父ちゃんも最後はガンでした。なので中年に差し掛かった頃から自分もガンで死ぬんだろうなと考えていました。でも個人的なポリシーで健康診断も人間ドックもせず、何かあっても基本的には病院には行きませんし、薬も飲みません。私は西洋医学をあまり信用していませんし、結局病気は免疫力で治すしかなく、大事なのは病気にならない予防措置の方だと思っています。バランスの取れた食事、必要にして充分な睡眠、適度な運動、そして何よりストレスをなるべく抱え込まないこと。これ以上にできることなんて何もないんですよ。だから普段からそれを心がけていればそれでよく、調子が悪くなったらじっと寝て治す。もし治らない重度な病気になったら、それはもう寿命だと考えて受け容れる。もうずっと前からそう決めています。
殆どの方がそうだと思いますが、最悪なのは植物状態で延命治療されることですよね。自分の意思を表明できずにずっと病院のベッドに縛り付けられて命の灯が消えるのを待つなんてゾッとします。その次に最悪なのは、痴呆です。下手に体力があると周囲に迷惑を掛ける分、植物状態よりタチが悪い。昔から年寄りはピンピンコロリなんて言って、ある日突然人生の幕が下りることを願ったりしますが、そんな都合よくものごとが運ぶわけがない。私の母は脳内出血で倒れちゃいましたが、そうなると家族に大事なことを伝えたり、後の始末をする時間がない。そう考えると、一年とかの余命宣告を受けて、徐々に病状が進行して、最後がキッチリ来るガンって、なかなか都合のいい死に方だと思いませんか?
まあ確かに痛いのは嫌なんですが、親父や叔父さんたちの最後を見ていても、みんなそんなに痛みで苦しんだりしてないんですよね。本当に痛みが酷くなるのは最後の二週間くらいで、それくらいならモルヒネ打ってなんとかなりそう。何よりダラダラ長引かないのは本人にも身内にも優しいんですよね。資産の処分とか、事業や家内の引き継ぎの時間は充分に取れるし、本人も食べたいものを食べて好きな所に行ける。そう考えると、そんなに恐れることはないじゃないかな。
国としても色々好都合で、医療費は助かるし、年金も最小限に抑えられる。身内の負担も少ない。困るのは医者くらいで、むしろみんな歓迎でしょ。医者の役割ってまだ寿命が来ていない人の健康状態を守ることで、ケガや突発性の病気の対応は助かるけど、人の人生を左右しちゃアカンと思うんです。薬ってのは本来は毒なのであって、あれは何も治してない。切るだけの医者って、やってる感出してるだけで、本人のQulity of Lifeを損なってるだけですよね。
だから問題は人びとの意識だけなんだと思います。誰にも必ず訪れる”死”をどう受け止めるか。死に抗っても仕方がない。来るべき時が来たと受け容れることで全てが静かに進んでいく。だからこそ、いつその日が来てもいいように、日々を精一杯生きる。それが正しい生き方なんじゃないでしょうか。
貯金や運用にかまけている暇があったら、やりたいことにおカネと時間を使いましょう。人生の価値は想い出の多さだと思うから。大切な人と悔いのない時間を過ごしましょうね。
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